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アシュタンガヨガのある毎日
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盲亀浮木

昨年の禅の旅の途中、
禅ワゴンの中で星覚さんから
「盲亀浮木」の話を聞いた。

盲亀浮木とは、
会うことが非常に難しいこと、めったにないことのたとえ。また、人として生まれることの困難さ、そしてその人が仏、または仏の教えに会うことの難しさのたとえ。▽大海中に棲すみ、百年に一度だけ水面に浮かび上がる目の見えない亀かめが、漂っている浮木のたった一つの穴に入ろうとするが、容易に入ることができないという寓話による。
出典:「雑阿含経」

goo辞書より引用

人間に生まれ、
仏の教えに出会ったことの有り難さ。

おそらくこの言葉は、
今までも見聞きしていたと思うが、
仏教に関心なかったゆえ、
素通りしていたのだろう。

以来気になっていた盲亀浮木だが、
つい先日、志賀直哉の作品に
同名の短編があると知り、
さっそく読んでみたのだった。

すっかり仏教バカになってるアタシは、
何か仏教的な話につながるのかと、
いらぬ期待を抱いていた。

ところがどうもそうではない。
偶然が重なるというエピソードが
綴られているものだった。

が、そこは天下の志賀文体。
ぐいぐい引き込まれるように一気読み。

そして、後半にきてちょっとびっくり。
飼い犬に関する話なのだが、
もうひとつの偶然があったから。

当時奈良に住んでいた志賀が、
東京に越してきて間もなく、
飼い犬のクマがいなくなってしまった。
家族で近所を捜したが見つからず、
みなでクマの身を案じていた。
そんなある日、志賀が、
息子と娘を連れて神田に出かけた。

高田馬場からバスに乗り、
江戸川橋にさしかかったとき、
バスの窓からクマらしき犬を見た。
江戸川橋から護国寺のほうへ
走っているのは確かにクマだった。

子どもたちに、
次の停留所で待つようにと言って、
車掌を振り切ってバスを飛び降り、
必死の思いで追いかけて、
それを見ていた往来の人たちに
助けられながら、ようやくクマを捕まえ、
家に連れ戻したという話。

それはもうまさに盲亀浮木だ。
ドラマでしかありえないような偶然。
その瞬間はまさにドラマチック。

本来ならもっと早い時間に
出かける予定だったのが、
予期せぬ出来事が重なり、
たまたまそのバスに乗ったという。

こういうことってあるよね。
ありえないくらいの偶然だけど、
実際にはそういうことがある。

けれども志賀はこのときのことを、
こういうふうに結んでいる。
ただ偶然だけではなく、それに何かの力が加わったものである事は確かだと思うのだ。しかし、私の頭では、その何かとは一体なんだろうと思うだけでそれ以上は考えられない。

と、ここまで書いたら、
ピンときた人もいると思うのだけど、
飼い犬がいなくなった事件は、
我が家でも起こったこと。

しかも。
クマが見つかった江戸川橋の辺りって、
シューが行方不明になった場所から
すぐのところなのだ。
届けたのはその江戸川橋の交番だからね。

盲亀浮木に引き寄せられて読み、
盲亀浮木な偶然にびっくり。

それにしてもさすがは文豪。
さらっと書くとふーんて話だけれど、
クマをもらいうけたときのことから、
その後のクマのエピソードまでも盛り込み、
ちゃんと読者に感情移入させている。

この私でさえ、
シューのときのことを思い出して、
なんだかちょっとうるっとしたもの。

しかし、シューもすごい。
交通事故、連れ去られ、
竹串飲み込み事件と、
3度も危機に瀕しながらも、
今なお私のもとで、
ノーテンキに生きている。
毎日私にどやされながらも、
どこ吹く風で生きている。

これこそまさに盲亀浮木なり。

シューはきっと、
なにかの運命を背負って、
なにかの使命を果たすために、
私のもとへ遣わされたのだと思う。

しかし、私の頭では、
そのなにかとは一体なんだろうと思うだけで、
それ以上は考えられない。
盲亀浮木_a0077315_20594636.jpg

ワンワンを背負って?!


やっぱりヨーダ?
盲亀浮木_a0077315_200348.jpg

by chayoga | 2015-07-02 21:37
アシュタンガCHAZEN
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